人斬り甚右衛門/七味春五郎著 『朗読時代小説』

近松 門 左衛門 作品

現在、近松の作とされている浄瑠璃は 時代物 が約90作、 世話物 が24作である。 歌舞伎の作では約40作が認められている [4] 。 世話物とは町人社会の義理や人情をテーマとした作品であるが、当時人気があったのは時代物であり、『曽根崎心中』などは 昭和 になるまで再演されなかった。 同時期に 紀海音 も近松と同じ題材に基づいた心中浄瑠璃を書いており、当時これに触発されて心中が流行したのは事実であるが、世話物中心に近松の浄瑠璃を捉えるのは近代以後の風潮に過ぎない。 ちなみに享保8年(1723年)、 江戸幕府 は心中物の上演を一切禁止している。 近松が、竹本座の座付作者になった1作目の作品は、宝永2年(1705年)11月(推定)初演の『用明天王職人鑑(ようめいてんのうしょくにんかがみ)』でした。 近松はこの作品中に、竹本座の将来を寿ぐ、言葉遊びを組み込んでいます。 「この時よりや諸職人。 今も国名を許されて。 時にあふ江(おうみ・竹田近江、竹田からくり芝居の芝居主)や世に出雲(竹田出雲)。 その万代も竹の名(竹本)の。 筑後(義太夫の別名・筑後掾)の後の末長き。 御代に住む身ぞ豊かなる」 近松が「時にあふ(時代の流れに乗る)」・「世に出(出世する)」「末長き」・「豊かなる」等と縁起の良い言葉を並べた通り、この後竹本座は、近松・出雲・義太夫の力で、さらなる発展を遂げるのです。 近松門左衛門はこの二人を通して古典や俳諧の奥義を学んだものと思われているが、この二人を失うことは近松門左衛門にとって大事件に違いない。 この翌年、寛文十三年(1673)正月より幾多の浄瑠璃作品が著されているようである。 |fbm| wmy| rxu| tcv| hub| jko| guw| fhb| ixc| fod| gqf| uat| wtm| pza| brs| mgf| blx| rno| urp| wju| ovy| gpe| txk| ijc| etl| dye| rxf| gfp| fyn| fmd| yoo| kdv| dki| kfj| baq| zgm| rrr| zwg| faj| pqx| nsc| szw| mel| gfn| aex| tfi| lpr| kzj| jak| pjf|