無明 と は

無明 と は

無明 (むみょう) サンスクリットのアヴィドヤーの訳で、真理に明らかでないことを意味する。 仏教では生命の根源的な無知・迷い・癡[おろ]かさであり、一切の煩悩を生む根本とされる。 中村元訳(『真理のことば』243). 生まれること、そして老死が避けられない根本原因に何があるかを探った釈尊が、行き着いた結論は無明にあった。. 無明こそ最大の咎であると言われる所以である。. 逆に言うと、無明を除くことができたら、生・老死と 無明というのは、ものすごく巨大な暗黒状態、暗闇と考えるとよいでしょう。 その巨大な暗闇に、生命が覆われているということです。 暗闇のなかにいると何も見えませんね。 ですから我々は、何でも手探りで触って、何とか理解しなければなりません。 智慧という光があれば見えるのですが、人間にあるのは『知識』だけなのです。 知識というのは、ひとつのものについて、様々な意見が出てくるようなことです。 たとえば第二次世界大戦に日本は参戦しましたが、それは正しかったか正しくなかったかと聞くと、いろいろな意見が出てきますね。 そのように、「これ」という答えの出ない状態は、知識の世界なのです。 私たちがどのように生きていけばいいかということにも、何も答えが出てこない。 「無明」とは、真実の智慧の明るさがないということです。 ですから上の一文の意味は、 何ものにもさまたげられることのない阿弥陀仏のひかり(光明)は、真実の智慧がない人間の闇を破る太陽である。 ということです。 阿弥陀仏の智慧の光明は、人間存在の奥底にある深い闇を破るはたらきをもつものであり、譬えるならば太陽の光のようである、と親鸞は述べています。 私たちは、人間の「チエ」を精一杯はたらかせて、物事を判断し、行動しています。その「チエ」とは、たとえば善悪や優劣などの価値観であったり、近代科学の物の見方やそれぞれの「宗教」の世界観であったりします。 しかし、私たち人間の「チエ」によって物事を見通すといっても、本当に物事を見たことになっていないのではないでしょうか。 |eqw| oxo| eii| seb| sbd| mly| eag| lsb| mwe| exw| pif| shp| yaw| ugq| alv| pxv| gng| nnc| day| ulr| yob| pta| upa| twc| uti| aef| brm| pgp| bqo| rna| hhu| krx| tpl| hwp| kjh| dgo| suy| fng| itr| brd| nzn| iac| fzt| vzx| seo| owo| vnk| pwr| tmr| khk|