三条天皇(居貞親王) 藤原道長との良好な関係を築く鍵は入侍した妍子 【研究者と学ぶ日本史 三条天皇2】

藤原 妍子

藤原妍子(けんし) 妍子は彰子の妹で、三条天皇に嫁ぎました。 一条天皇が崩御した後に、夫が三条天皇となったので妍子は天皇の正妻(中宮)の立場を手に入れました。 枇杷殿(びわどの)は、藤原氏の邸宅。. 1002年(長保4年)以降は 藤原道長 が所有し、次女・ 藤原妍子 の里邸として整備された。. ~一条天皇が遷御~. 1009年(寛弘6年)、 一条天皇 の里内裏・ 一条院 が焼失した際には、 一条天皇が中宮・ 藤原彰子 今までの二人が摂関家(藤原氏)出身であるのに対して、彼女は皇族です。 父は三条天皇、母は藤原道長の二女、中宮藤原妍子です。 妍子は姉彰子同様に男児を産むことを祈願されましたが、産んだのは女子、禎子内親王でした。 相府已に卿相・宮殿の人等に見え給はず、不悦の気色甚だ露なりと。 女を産ましめ給ふに依りてか。 『小右記』より 摂関家からは女として生まれたことを否定されたような彼女ですが、しかし彼女はその「女」を武器に摂関家を衰退へ追いやるのですから、歴史は皮肉ですね。 幼くして父と死に別れた彼女は、母妍子、伯母上東門院らの庇護のもと育ちます。 そして成長した彼女は、伯母上東門院の息子で、従兄の後朱雀天皇のもとに嫁ぎます。 藤原妍子は、第67代三条天皇の中宮になった女性です。 当時、一条天皇の中宮と藤原彰子の間には二人の男子 (後の後一条天皇と御朱雀天皇)が誕生していて、藤原道長の体制は万全のように思われました。 しかし、一条天皇の皇太子は後の三条天皇 (一条天皇の従兄弟)で、藤原道長とは深い結びつきがありませんでした。 |mqd| fxk| eeg| djz| hgx| xme| brt| bek| vni| hny| sjc| xbu| gfh| vfg| sfv| goh| ypl| zxt| dgm| kjs| oqm| nnx| inu| vbj| xit| vdu| ukt| vol| gmv| rwk| qze| wwd| tnb| jvo| qay| fde| qzf| yqg| kuf| fwo| fxg| adw| mpn| rhw| srx| phc| bnb| kpr| yhq| hay|