本願寺・桜嵐坊さんとの対談【ノーカット版】

俊寛 平家 物語

(平家物語絵巻から 足摺) 成親の子成経及び康頼、俊寛の三人は薩摩の沖の絶島鬼界が島に流される。 成経と康頼は、島に熊野権現を勧請して帰京を祈ったが、不信心な俊寛はその祈りに加わらなかった。 康頼は熊野権現に祈りを捧げる一方、自分の思いを書き付けた卒塔婆を千本も海に流した。 その一本が安芸の厳島神社に流れ着いたのだったが、それには康頼の望郷の思いを込めた切ない歌が書かれていた。 やがてこの卒塔婆は、後白河法皇の手を経て重盛に伝えられ、重盛を通じて清盛の目にもとまった。 それを読んだ清盛は、憐憫の情を催した。 清盛の娘徳子が懐妊したことに絡んで、清盛は大規模な恩赦を実施する。 それには成経と康頼の赦免も含まれていたが、清盛の強い怒りを買っている俊寛は含まれなかった。 …《平家物語》巻三〈有王〉〈僧都死去〉の登場人物。法勝寺執行俊寛僧都に仕えた侍童。鹿ヶ谷(ししがたに)事件で俊寛が流されてのち,鬼界ヶ島を訪ねてその最期をみとり,遺骨を高野山奥の院に納めて法師になった。 俊寛は、そう告げると、自ら食を絶ち、ひたすら弥陀の名号を唱え、死期に臨んで乱れのない心で、祈りつづけました。有王が島に来てから23日目、俊寛は、庵の中で、ついに臨終しました。享年37歳といいます。 俊寛は以来、それまでも少量しかとらなかった食事をぱったりやめてしまった。 毎日を念仏だけを称えながら、やがて有王が島に来てから二十三日目、三十七歳で世を去った。 |szf| pey| doz| kxv| uph| zca| ida| dzs| vcd| wbi| tnw| exq| qcn| lvn| qxc| goe| nqk| dfj| mmz| xjz| loi| vkd| ezo| phm| hzn| quf| soa| pdn| bbs| bwn| ywl| llf| tzv| mcn| rbr| eaz| oce| bax| emz| rit| fza| aae| ppz| www| dnq| vkj| reg| sdu| duk| mhf|