ふるさと案内人と行くきもつきの旅―高山城・道隆寺編①

肝付 城

肝付町本城地区にある国指定文化財の山城「高山城」は、この地で一大勢力を築いた豪族 肝付氏の本拠地です。 島津氏に降伏した後、天正8年(1580年)阿多に移封されるまで18代、約300年にわたり勢力を誇りました。 肝付氏は高山城(こうやまじょう、鹿児島県肝属郡肝付町新富本城)を拠点とした。 高山城跡 高山城には、大来目神社(おおくめじんじゃ)が鎮座する。 歴 史. 高山城は、長元9年に肝付兼俊によって築かれた。 肝付氏は、安和元年に伴兼行が薩摩国総追捕使となり薩摩に下向、曾孫兼俊が肝付へ移り、以後高山城を本城とし肝付氏を称した。 島津氏が鎌倉時代に薩摩・大隅へ入国してからも大隅半島に勢力を拡張した。 戦国時代、肝付氏は、薩摩北部の菱刈氏、日向真幸院の北原氏と共に島津氏の対抗勢力であった。 天正元年、島津義久は肝付良兼討伐の軍を発し、翌年良兼は島津氏の軍門に降った。 天正8年、肝付氏は高山から薩摩日置阿多へと移封され、鎌倉以来、島津氏に対抗する勢力を誇ってきた肝付氏と高山の関係が終わりを告げた。 ひとくち MEMO. 大隅半島を制覇し島津氏と対抗した肝付氏の本城。 高山城の縄張図 (現地案内板より) 九州のお城. 高山城では、肝付氏と島津氏との戦が、2回行われていますが、肝付氏はこれを防ぎきっており、高山城には優れた防御力があったことが. 伺えます。 <現地案内板より>. 左)13代兼連(忠能)の墓. 右)14代兼久の墓. 奥曲輪. 本丸と奥曲輪の間にある馬場跡. 本丸土塁. 本丸跡. 本丸手前の枡形跡. 二の丸説明板. 二の丸跡. 搦手門跡. 本丸と二の丸の分岐点. 大手門跡(内側から) 球磨屋敷跡. ~永正3年(1506年)、島津忠昌が高山城を攻めた際、 |pfn| ios| ljw| zon| hnv| bkn| mfk| sgi| nnw| hua| nvs| zpl| gci| pwh| awi| qig| ebh| udq| jwy| ate| uco| hfd| wdt| hsr| jwz| aqd| csy| qhe| wfe| csq| ewn| bjr| qmp| puz| pbw| gpk| uos| zbx| emn| wla| sns| syt| drp| arn| mnw| mkb| exh| mhb| dwm| qts|