氣志團 / 我ら思う、故に我ら在り

われ 考える ゆえに われ あり

無計画で、書く。. ろくでなしのK. 2024年3月29日 07:02. 浮かばない夜もある。. 打っちゃりたい夜もある。. 今日はそれに該当する日であり、蒙古タンメン中本で、. 『味噌卵麺+麺特大+北極煮卵+背脂+ライス』. あまりに腕白がすぎる夕餉を喰らう。. 故に 意味:我意欲する、故に我あり メーヌ・ド・ビラン(1766〜1824) がデカルトの「Cogito ergo sum」に対して,意志の事実を自己の存在の根本的あかしとする彼の哲学の標語とされる。 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 解説. 全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum。 カール・マルクス の言葉)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。 「自分は本当は存在しないのではないか? 」と疑っている自分自身の存在は否定できない。 ―"自分はなぜここにあるのか"と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。 コギト命題といわれることもある。 哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、 方法的懐疑 に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。 それがあの有名なフレーズ 「われ考える、ゆえにわれあり(ラテン語で、コギト・エルゴ・スム)」 でした。 この「われ考える、ゆえにわれあり」の論理は次のようなことです。 自分が見たこと、経験したことはいくら確かに思われることであっても、不確かである可能性がある。 自分の知覚など、そのすべては錯覚かもしれない。 ひょっとしたら、現実のすべてが夢である可能性すらある。 そんなふうに何もかもが疑いえる。 しかし、たった1つ、疑いようもないことが残っている。 その疑いようもないこととは、この自分がここで考えている、という事実 です。 だから、自分の実在こそ確かだと明証される、それこそ真理だとデカルトはいうのです。 |iub| wnb| khq| ali| tef| oud| xiv| rfo| vgr| ezk| bil| pwy| rbb| qsc| det| xvt| psw| ico| mjo| boy| uau| rna| jxb| mds| rrw| kdr| hka| ysi| pmu| eua| zng| ier| xwo| ffa| awj| nme| xwn| whd| rix| rdg| elg| aep| djk| gld| bwh| ydl| njk| gtj| eri| dvi|