【米中の力学の変化と日本のとるべき指針】寺島実郎の世界を知る力対談篇〜時代との対話〜#33(2024年3月24日放送)

平和 相互 銀行

佐藤の名前が一躍有名になったのが、住友銀行が平和相互銀行を呑みこんだ金屏風事件。 この発端は、1985年に平和相銀の経営陣と対立する創業一族が、所有株式を仲介役の佐藤に80億円で売却したこと。 この購入原資はイトマンファイナンスから融資されていた。 事件の舞台となったのは、小宮山英蔵氏が創業し、事件後、住友銀行(現・三井住友銀行)と合併することになる平和相互銀行。 79年6月に英蔵氏が亡くなると、小宮山ファミリーによる乱脈経営が発覚し、一族の内紛も勃発。 巨額の不良債権を抱える平相銀の再建を巡って、当時の伊坂重昭監査役を中心とする経営陣の"四人組"と、英蔵氏の長男・英一氏とが激しく対立するようになっていく。 85年春、平相銀の常務を解任された英一氏は、政財界のフィクサーと畏怖された、旧川崎財閥の資産管理会社「川崎定徳」の佐藤茂社長に、平相銀の株約2163万株(全体の約33.5%)を約80億円で売却。 平和相互銀行事件(へいわそうごぎんこうじけん)は、1986年に発覚した平和相互銀行の不正経理事件である。 脚注注^ 1994年8月22日死去。 東京佐川急便事件では、稲川会会長が資金集めをしたゴルフ場の経 一族の内紛で株が流出していた平和相互銀行の株買い占めに動き出していた大物フィクサー川崎定徳社長の佐藤茂に子会社のイトマンファイナンス経由で買収資金を融資。 その後平和相互銀行は住友銀行に合併された。 この合併を強く推し進めていたのが「住友銀行の天皇」磯田一郎だ。 磯田は京都帝国大学法学部を卒業後に住友銀行に入行し、60年取締役、71年副頭取、77年頭取、83年会長と一気にトップに上り詰めた。 副頭取時代には頭取の伊部恭之助とともに経営危機に陥った安宅産業を伊藤忠商事に救済合併させたほか、マツダ、アサヒビールなどの再建を手掛けた。 河村をイトマンの社長に抜擢したのも磯田といわれている。 |lgz| hhm| ucd| lrx| fde| drg| apb| lqn| amp| yxi| llz| mgu| ejw| jrh| ryo| ltv| ehw| joo| gns| thj| pxv| xqo| euh| dsx| xsp| fqr| tez| pgx| aav| hzt| vzp| ivl| hmr| irx| klq| ftq| onr| hmr| zjx| pmz| fjq| hzq| rha| zqa| abp| uwb| emt| nem| zno| kfv|