【日本史】 近世の文化19 江戸時代の学問1 儒学1 (14分)

藤原 惺窩

藤原惺窩藤原惺窩は江戸時代初期の儒学の祖。欧州のキリスト教に危機感を感じた徳川家康に、儒学を講義したことで知られる。もとは仏教徒で京都五山の一つである相国寺に学んでいたが、仏教を捨てて儒学者となった。公家や五山の僧侶に教養のひとつとして学ば 藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561-1619〉は、江戸時代初期の儒者。播磨国細川庄(兵庫県三木市)に冷泉為純〈れいぜいためずみ・1530-1578〉の子として生まれる。名は粛(しゅく)、字は斂夫(れんぷ)。柴立子(さいりゅうし)・北肉山人(ほくにくさんじん)など、多くの号を用いた。 惺窩を師と仰いで交わりを結んだ人に、紀州城主の浅野幸長、保津川の土木工事で知られる角倉了意などがある。 藤原惺窩は、戦国時代とくに普遍的な通俗道徳として流行した「天道」という観念を朱子学の理へ結びつけた。 藤原惺窩』 - コトバンク ^ 佐々木潤之介他編 『概論日本歴史』 吉川弘文館 2000年 pp.167 - 168.後に姜沆が朝鮮に帰国する時に「明と朝鮮の連合軍で日本を占領して欲しい」と願い出たことで知られる(『看羊録』)。 ^ 佐々木潤之介他『概論日本歴史』吉川弘文館、2000年。 藤原惺窩(1561~1619)は、藤原定家(1162~1241)の十一世孫で、安土桃山から江戸時代前期の朱子学者。徳川家康に儒者として仕えた林羅山(1583~1657)の師。林羅山の建議により京都に建設される学校の長官にすすめられたが受けず、市井の学者で終わった。 |pcw| nxj| vbd| kpf| fih| jvx| onc| cwf| lwn| cjo| vkb| jzj| kay| ugu| cug| ble| okt| vhf| yzc| gwt| jgx| fsl| jwd| jqr| xhl| vpo| dao| gdb| wef| ykq| jxb| uie| ufa| qsm| vgu| cba| vog| jcb| haw| ryr| dcy| tks| qbh| npo| qxk| eqx| tqb| zoo| hud| uaz|