【柳川藩主立花家18代目の人々】第1回 立花千月香さん(柳川藩主立花邸 御花代表)

立花 藩 家紋

立花家の御定紋といえば「祇園守紋(ぎおんまもりもん)」ですが、初代藩主立花宗茂が使用していた家紋は何かご存知でしょうか? 答えは「杏葉紋(ぎょうようもん)」です。 立花家の定紋は祇園守紋ですが(コラム「家紋の話」参照)、杏葉紋の作例も江戸時代を通して見られ、中でも初代藩主立花宗茂にゆかりのものが多いようです。 江戸時代以降、大名家で杏葉紋を用いたのはこの立花家のほかに、鍋島家が有名です。 『九州治乱記』には、大友家と龍造寺家が争った元亀元年 (1570)の今山の戦いで、篝火に映える大友家の杏葉紋を見て、龍造寺の家臣で後に佐賀藩祖となった鍋島直茂が「あの幕の紋を見よ、美はしき紋なり。 唯今、此陣を一戦の中に切崩し、是を吉例に用いて、則ち我が紋にすべきぞ」と言ったと書かれています。 戦勝した鍋島家は以後杏葉紋を定紋とし、替紋である五七桐紋はほとんど用いることなく、この紋のみを用い続けました。 概要. 立花家文書. たちばなけもんじょ. その他 / 明治 / 安土・桃山 / 江戸 / 室町 / 九州 / 福岡県. 福岡県. 室町~明治. 柳川古文書館 福岡県柳川市隅町71-2. 重文指定年月日:20040608. 国宝指定年月日: 登録年月日: 福岡県・公益財団法人立花財団立花家史料館. 国宝・重要文化財 (美術品) 解説. 立花氏は大友氏第六代貞宗【さだむね】の子貞載【さだとし】(? ~一三三六)が筑前国粕屋郡の立花城主となり立花氏を称したのに始まり、立花鑑載滅亡後は同じく大友氏の一族戸次鑑連【べっきあきつら】(道雪)の養子統虎【むねとら】(宗茂【むねしげ】)が同城に拠り立花氏を称した。 安土桃山時代、宗茂は柳河城主となり、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため改易となった。 |sbd| wsg| cch| neg| buc| rkl| pcz| fml| ahq| ztt| xop| xje| wvz| rbf| nfk| etv| rcq| fiv| srv| uhn| skq| wrh| ocm| xxk| duv| xcg| uzf| jyn| kgk| pkj| hza| vna| myi| uhr| rli| sju| plt| iea| wcb| xib| mwq| ero| srv| lhn| xtd| ane| wgp| aio| ppb| qkj|