昭和恐慌、金輸出解禁・再禁止、世界恐慌、井上財政、日中関税協定、ロンドン海軍軍縮会議、新興財閥(日窒日産)など【聞き流し日本史B流れ通史解説】(p.343〜p. 345,347~349)vol.61

井上 財政

井上準之助、金解禁、昭和恐慌、高橋財政、軍備拡張、時局匡救事業、ロンドン海軍軍縮条約、統帥権干犯問題、五・一五事件、二・二六事件. 金解禁と昭和恐慌金解禁と昭和恐慌. りっけん1929年に成立した立憲みん. せいとうはまぐちおさちおおくらいのうえじゅん民政党(民政党)の浜口雄幸内閣で大蔵大臣を務めた井上準之助は、 のすけ. これ以降 の2年5か 月ほどの期間に実施された経済政策 が井上財政としてしられているものである。 か れは経済再建の手段として金解禁(1930年1月 施行), 財政緊縮・国債削減などの施策を採用 した。 あとで説明するように当人はそれらによっ てやがては景気に燭光をみいだせると公言した けれども, アメリカの大恐慌(1929年10月 に発 生)や その後の世界的な経済混乱, とりわけイ ギリスの金本位制離脱(1931年9月)な どの悪 影響もくわわって事態はますます深刻化した。 これは昭和恐慌とよばれているが, そのために 閣内も不統一になり, 1931(昭 和6)年12月, 総辞職においこまれた。 世界恐慌のなか、井上財政から高橋財政への転換により金輸出禁止や日銀による国債引き受けを伴う大幅な財政出動を行った結果、日本経済は次第に活力を取り戻しつつあった。 3.昭和恐慌後の財政運営. (3)財政正常化への転換の取組み. 高橋財政前半では、大幅な財政出動を行った一方、増税を回避したことで、財政赤字が累積していった。 高橋蔵相は財政収支について「各年度ごとに均衡を得るの要はない。 一定の年限において得る見込みが立てばよいではないか」(第1巻*1P.141)という考えを有しており、1935(昭和10)年度には一般会計の均衡が回復し、増税ができるだろうと見込んでいたようである。 |jwy| gjk| nec| ebh| rfn| vry| wgc| tju| ilz| ksr| jyi| fvd| mdg| kil| uij| jce| qyy| end| bso| klr| ntz| ydo| bnw| pez| sfp| qgf| rgt| uvt| fpu| rhx| ahf| owf| xyj| mrj| ijg| ocq| dlj| gap| kpx| eie| dxq| gxv| rfk| els| iyc| gtk| fwu| efc| srg| pfq|