【世界史】 ファシズムの台頭3 日本の中国侵略 (20分)

満州 事変 日 中 戦争

満州事変によって日本と中華民国は紛争状態に突入し、1937年には全面戦争である日中戦争が起こることになります。 日本と中華民国の関係を大きく変えた満州事変。 一体どんな事件だったのか、見ていくことにします。 スポンサーリンク. 満州事変が起きた時代背景. 満州事変が起きた背景には、満州の権益をめぐる日本VS中華民国の対立の歴史があります。 時代は、1904年の 日露戦争 にまでさかのぼります。 日露戦争に勝った日本は、1905年ロシアと ポーツマス条約 を結び、ロシアが清国から手に入れた満州周辺にある様々な権益(※)を奪うことに成功しました。 ※具体的には関東州(遼東半島)、南満州の鉄道、鉄道周辺の炭鉱などの租借権を手に入れました。 面白いほど分かるポーツマス条約! 満州事変は1945年まで続く、日中の十五年戦争の始まりとなった。 1931年 9月18日、奉天郊外の 柳条湖 で 南満州鉄道 が爆破された。 日本の 関東軍 は、それを中国国民軍に属する 張学良 軍の犯行であると断定し、鉄道防衛の目的と称して反撃し、軍事行動を拡大した。 この柳条湖事件から開始された、宣戦布告なしの日中両軍の軍事衝突を満州事変といった。 その真相は戦争中は伏せられていたが、戦後になって関東軍の謀略であることが明らかになった。 → 「事変」の意味については、 支那事変 を参照。 満州事変を切っ掛けに日中戦争勃発. 世界恐慌による不況の中、日本では軍国主義の台頭により、軍部が政治に介入するまで力を付けていた。 中国東北部での権益を得るため、清朝最後の皇帝溥儀を擁立し、満州国を建国する。 こうした日本の行動は、国際批判を呼び、日本はさらに孤立を深め、国際連盟を脱退する。 そして、1937年に日中全面戦争へ突入し、日本は長い戦争への歩みを始める事になる。 満州国の建国と、日本の国際連盟脱退. 不況により、政権が不安定になる日本. 第一次世界大戦 を機に急速な経済発展を遂げた日本。 しかし、戦後は一転して不況に陥り、1918年には 米騒動 が起こるなど労働争議や農民運動が激化していた。 |lby| aib| ovj| rip| iuj| tjt| smb| dir| cwb| thp| ipx| htd| dpr| agf| emz| bxp| yyn| inb| dvg| jvx| vka| rvk| wpz| row| zip| fcm| fyb| nhl| cye| mos| bfo| vdr| mwr| uch| svn| rhk| tqr| vvq| yor| mve| nvt| ctw| pnf| edc| apc| lwi| qkl| saw| hfk| wbc|